とある作曲家の日常

作曲家・ピアニストをしている私の日々の生活を綴ります♪

最強の批評家

 まず、私の母は音楽には全くの素人。とはいえ、父がクラシックをよく家で聴いていたり、子供から通っていたヤマハ音楽教室には付いてきてくれていたし、また最近普段は流行りの曲を聴いたり、韓流アーティストにハマったり、クリス・ハートを愛聴していたりするので耳はそれなりに持っていると思う。

 そして、お世辞は決して言わない人(言えない性格と言うべきか)。
 そういうわけで、私が出演する(あるいは自分の作品が演奏される)コンサートにおいては、母の意見を一番尊重しています。
 母は自分の予定が合えば、必ず私の関連する演奏会・コンサートには来てくれます(ファン第1号ですね)。
 批評の一例。例えば大学時代のサークルの定期演奏会では、終演後母曰く、「全部選曲ミスやね」の一言((((;゚Д゚))))。バッサリ、がーん!!(ここまでバッサリはめったにありませんが・・)。サークルと言えば、大きなコンサートに向けて半年間(場合によっては1年間)日々練習を重ねて、ようやく迎える本番・・。
 でも、これが「一般客」の一意見なのです。この意見が意味するところは、


・演奏者が素人(アマチュア)なのに背伸びして曲を選び演奏している
・素人のお客さんが聴いていてわかりにくい曲を選んでいる(あるいはわかりにくいと思わせる演奏をしている)

 

 聴き手をずっとつらい立場に立たせてしまったということだと思います(もちろんこれは好み等もあるので一意見に過ぎないですが)。
 大学サークルの1コンサート、そんなところまで言う必要もあるまい、というもの1意見でしょう。今まで「大勢の前での演奏会・コンサート」など経験もしたことがない学生が、いきなり1000人の観客の前で歌う場合もあります。そりゃ緊張もするし思うように歌えなくあっという間に終わってしまうこともある。
 ただ、演奏会を開くのは誰のためでしょう?どんな表現をすれば、どんな指揮をすれば、どんなピアノを弾けば、どんな顔をして歌えば、どんな入場の仕方をすれば、どんな礼の仕方をすれば、どんなトークをすれば、「お客さん」が楽しんで満足して帰ってくれるか、を常に考えることは忘れてはならないと改めてそこで思うのです(自戒)。披露をするということは、「自分の持っている何かを勇気を持って人前にさらけ出す」ということ。そういう経験を学生時代にできるのは本当に幸福な経験だったのです、今思えば。
 そして母が終演後にシンプルに「よかったね!」(細かい批評などは素人なので言わない・言えない)と言ってくれた演奏会は、本当の意味の「よかったね!」なのです^^。