読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

とある作曲家の日常

作曲家・ピアニストをしている私の日々の生活を綴ります♪

吾輩は猫舌である

 吾輩は猫舌・猫手・猫肌である。名前は熱いの苦手っ子である・・。

 外食などする時、コーンポタージュやオニオンスープやミネストローネなどのスープ系はまあ15分は待ってから飲む。

 熱いものを手に持つと瞬間的に「ヒィ!」となる(あ、これはみんなそうか(笑)。でも反応速度は私は超早いと思う)。

 お風呂は37度くらいがちょうどいい。一度知らぬ間に家族が設定を勝手に変えて40度になっていた時は、アツアツになっているともつゆ知らずに入ろうとして足を湯船に付けた瞬間「ヒィ!」・・。

 おまけにすんごい汗っかきである。お風呂から上がった瞬間からもう汗をかいているのでタオルで拭くともう汗の匂いがする。これは確実に母親の遺伝である。母は夏になると毎年玉のような汗を首筋に流している。名酒「玉の汗」が作れそうな勢いである(笑)。カレーライスは普通の辛口でも2口食べたらもう汗が出てくる(でもカレーライス自体は大好きなので、ジレンマである。もっと辛いカレーも思いっきり食べてみたい!甘口は頼むの恥ずかしい・・)。
 

 カフェでホットコーヒーを飲むときは、ある店ではショートサイズに「氷4つ」で自分的には飲みやすい最適温度になることがわかったので、最初から「ホットショート、氷4つ入れてもらえますか?」と注文するようにしている。
 何度も通っていると、店員さんは何の疑問もなく笑顔で「氷4つですね^^」と入れてくれるようになった。
 ところが、他店のカフェに行ったとき、同じようなスタイルで注文したのだが、その店は氷の大きさが結構小さめだった。そこで、「ホットコーヒーを1つ、あと氷を「少し」(別のコップに)付けてもらえますか?」と頼むようにした。その頼み方を繰り返していると、店員さんに「このお客さんは氷を(ガリガリ「食べる」用に)別に頼む人だ~」という認識で覚えられてしまったようで、先日ホットコーヒーを頼んだ瞬間に男性店員がご丁寧にも氷をなみなみ(?)とコップについでトレーに置いてくれた。


 ・・・「わしは氷カリカリ大好き星人か!」

 ・・・「ホットを氷で割ったらただの薄いアイスコーヒーやないか!」


などと吉本新喜劇気分で心の中でツッコミを入れながら、「お気遣いありがとうございます」とその場では何事もないように装ってニコッと受け取った。


P.S.その男性店員がいつもいる人なのかは実はわかっていない。
なぜなら女性店員の顔しか覚えられないからである(コラ)。

広告を非表示にする

失敗は成功の母

 私はピアニストとしても活動しているが、幸い今まで演奏会の本番で止まってしまったりという失敗はしたことがない。ただ、中学生の時に一度だけ、本番ではなくリハーサルの際に、ある曲の前奏(5小節くらいの)で失敗し演奏が止まってしまったことがある。
 僕が通っていた男子校は中学高校一貫、学内で年に一度、クラス対抗の合唱コンクールがあった。5歳からピアノをやっていてた僕は当然というかいつのまにかこのイベントでは中心的人物にされ、ピアノを弾いたり、歌の各パートの練習などを面倒みたりしていた。そしてついには6年間ピアノ伴奏ばかり担当することになり、歌い手として歌うことなく卒業してしまった。
 クラスの皆は僕のことを音楽的に信頼していたし、一応「コンクール」なので賞が出るのだが、良い賞をもらうことも多かった。
 さて、「失敗」の話しは中学3年生にさかのぼる。その年の合唱コンクール、いよいよ中学では最高学年、指揮者の担当は小さいころから弦楽器の英才教育を受けてとても上手く音楽センスも抜群の同級生という、万全の布陣で望んだコンクールだった。
 リハーサルは本番直前に1回だけ、確か15分くらいで制限されていたように思う。最初の曲は6小節ほどピアノだけの前奏がある。勢いの良い曲だったので、僕は意気揚々と弾き始めたのである。
 ところが。やまり緊張していたのであろうか、いつもと違う椅子の高さだったからだろうか、あるいはリハーサルということで気を抜いていたのであろうか、右手にいきなり出てくるオクターブ奏を弾いている途中に急にどの音を弾いているかわからなくなり混乱してしまったのである・・!演奏は歌が始まる前にストップした・・
(こ、これは気まずい雰囲気になるぞ・・)
とびくびくしていた瞬間、クラスの全員が大爆笑したのだ。
「うわっ、あの○○が間違えた!」「ありえへん!」
「びっくりするわ~!!」「こんなこともあるんやな~」
などと口々に言っている。僕は顔を赤くしながら、
「すいません」とペコペコ頭を下げるアクションをしながら、
再び弾き始めた(今度は(ドキドキしたが)うまくいった)。
 この出来事で、逆に皆の雰囲気が和やかになり、リラックスしてくれたようである。間違いを馬鹿にせず豪快に笑ってくれた皆に感謝。
 そしてこの年、中学3年の我がクラスは見事最優秀賞を受賞することができたのである。


 「失敗は成功の母」というが、意外なる「失敗」が「成功」へと導いた一つのエピソードであった。

広告を非表示にする

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

 少し前にこの曲は、浅田真央さんのフリーでの素晴らしい演技と共に話題となったが、僕はこの曲もう好き好き歴20年を超える。高校時代には楽譜を2つ(?)買い、むさぼるように弾き、いつかオーケストラを共演するぞ!などと身の丈にも合わないことを思っていたものだ(それが後に思わぬ形で実現するのだが)。
 冒頭の「鐘」8小節に渡る全音和音(親指から小指まで10度の開きがある上にその間にも音が存在する)の連続、自慢ではないが私は手が大きく指が長いので、両手全て同時に打鍵することができる。自慢ではないが(ひつこい!)はっきり言うと弾いていて心地がよい。同時に鳴るということは、和音の立ち上がりと響きが凛とし、かつカツ重のように重厚な全音符が、遠くから聞こえてくる鐘のように鳴り響いて近づいてくるのである。前代未聞な前奏である。
 その有名な前奏が終わると、ピアノパートは一旦伴奏役割に回る。まあ11連符やら13連符やら7連符やら、割り切れない分散和音が、弦のメロディが素晴らしすぎるので、何連符になろうがほぼバレない(本当に!?)。そして弦のメロディを引き継いだりして展開していく素晴らしい極上の音楽にうっとりしながら、でもうっとりはミスを引き起こすので適度にしなければならない。
 幸運だったのは、あるアマチュアオーケストラの定期演奏会でこの第2番が取り上げられた際、そのオーケストラと繋がりがあったため練習ピアニストとして使ってもらえたりもした(オケとの共演の夢が叶った!)。
 さて第1楽章の魅力だけでも本一冊が書ける勢いなので(笑)、第2楽章以降はまた別の機会に・・。
 さて、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番も有名だが、実は隠れた名曲は第4番だと個人的に思っている。この第4番は、CDも少なく演奏会ではめったに取り上げられない。理由は明白で、出だしのアイデアが失敗しているのである。最初の2小節のワクワクさせるcrescだけは良かったが、その後はまた例の四分音符が続くラフマニ節全開の甘いメロディを、少々甘さが足りない退屈な和音で持ってきてしまった。しかし、そこを我慢(?)すれば、其の後は素晴らしい世界が待っている。特に第2楽章などは天国にいるかと思うような美しさの音楽だ。さらに第3楽章に入ると、これぞヴィルトゥオーゾという指さばきを見せ、快感に導いてくれる。クライマックスもしつこすぎず、ちょうどよい塩梅でこの曲を締めくくる。まさに拍手喝采である。
 しかし、である。第1番もこれまた、捨てがたいのだ。ラフマニノフがまだ学生時代に書かれたこの作品、曲の冒頭に見せるこの上ないロマンチックで切ないメロディは、チャイコフスキーなどロシア音楽の流れを強く汲みつつも、ラフマニノフにしか出せない特有の「濃さ」を展開する。もうこのメロディ好きすぎて12小節で気絶しそうになる。

 要するに、私はラフマニノフ大好きなのである(え、もう充分だって!?)。

油断は禁物

 自宅に一番近いあるカフェ(某チェーン店)である日作曲仕事をしていた。窓際にあるテーブルで午前一杯仕事をして、そろそろ疲れたし一旦切り上げるかな、と思って立ち上がったら、「○○さん?」振り返ると親友の奥様が真後ろの席に座ってらっしゃってたではないか。「びっくり!どうもどうも!(汗)」と言いながらも、2時間くらいは後ろから観察(?)されてたかと思うとちょっとドキドキ・・貧乏ゆすりとかしてたかな、とか、伸び何回したかな、とかひとりごと言ってなかったかな、とか色々考えてしまったorz。
 たまに大阪に出向いて同チェーンのカフェにも行く。自宅が京都なので、さすがにここでは誰にも会わないだろうと思ったら、「○○さん??」・・。振り返ると大学時代のサークルの後輩!やや動揺しながら「お久しぶり!」彼は仕事場が近くそこがお気に入りでよく通っているとのこと!
 そしてまた後日、京都で上記とは別の場所にある同チェーンカフェに初めて行った。さて、メニューは何にしようかな~と考えてふと顔を上げたら・・今度は店員さんが何とお友達のピアニストさんではないか!
 油断ならん・・!某チェーンの何か大きな陰謀を感じる・・(笑)。でもこれからもそういう偶然の出会いを期待している自分も居たりする^^;。

広告を非表示にする

Smile

 喜劇王チャップリンの作曲した名曲である。この曲、マイケル・ジャクソンがカバーをしている。それが、この上なく素晴らしい。
 前奏は編曲としては最高の出来、ストリングスのみの切ない響きで始まる。ポップスとしてはあまり例がない始まり方と思う(特に当時は)。しかもノスタルジックな響きにまず泣かされる。とにかく全曲を通じてもアレンジが最高の出来である。そしてもちろんマイケルの素晴らしい歌唱でないと、このアレンジも生きない。
 そして最高に最高におしゃれな後奏(エンディング)。
 YouTubeのリンクは敢えて紹介しない。是非音源だけで聴いてほしい。それで十分それぞれの脳裏にそれぞれのイメージが湧いてくるはず。
 マイケル・ジャクソンホイットニー・ヒューストンも、睡眠薬Over Doseで死んでしまった。音楽をしているときの、歌を歌っているときの、ダンスをしているときのまぶしい輝き、その裏側に深い深い心の闇と孤独があってバランスを取っていたと思うと、やり切れない。

 今聴き直してわかった。マイケルはこの後奏の間に天国への道を歩いているのだ。ポップスに多くの大きな革命を起こしたキング・オブ・ポップは、最後は軽いステップで、軽く微笑みながら、口笛を吹きながら、天国へ行ったに違いない。
 そして今、天国でSmileしている。
 そう、信じたい。

 

Smile

Smile

 

広告を非表示にする

演奏会の出来

 職業柄、色々な演奏会(特に合唱団)を聴きに行く。普段の練習と演奏会の出来との関係について考える。


◎練習でも「できず」、本番でも「できなかった」:当然の帰結。

◎練習では「できなかった」ことが、本番では「できた」:舞台の神様が降りてきたか、偶然上手く行ったか、周りの歌い手のおかげ。

◎練習で「できた」ことが、本番で「できなかった」:本番には「魔物」がいる。普段できていたことが、本番で思いもよらぬところで間違えたり上手く歌えなかったりする。その時はその場でいかに早く気持ちを切り替えられるかどうか、が大事だと思う。

◎練習で「できた」ことが、本番でも「できた」:普段からの努力の積み上げによる当然の帰結。と言いたいが、これはそんなドライなことではない!お客さんを前にした本番の緊張を乗り越え良い演奏ができたことは賞賛されるべき素晴らしいこと!

 

 当たり前のことを当たり前に、あるいは期待以上に、常に高いレベルでできる人(団体)を、“プロフェッショナル”と呼ぶ。

広告を非表示にする

花粉症ならぬマシュマロ症

 いきち、ということばがある。「生き血」ではなく「閾値」。「しきいち」とも言う。
 花粉症は、体内にある「閾値」があって、取り込んだ花粉の量がその値を超えると発症するとの巷(?)のうわさがある。
 小学校確か高学年の時、その「いきち」を体験した。その頃マシュマロが大好物で、おやつの時間毎に袋ごとパクパク食べていたものだ。ある日、同じように食べていると、あるひとつを口に入れたのを最後に、ががーーーん!!猛烈にマシュマロが嫌いになったのだ。その反転ぶりはすごかった。その後は大人になるまでマシュマロのことを考えるだけで、嫌な気分になった。恐らく体内のマシュマロメータが振り切れ閾値に達したのだろう(どんだけ食べたんや・・)。
 とはいえ、もうそれから30年近く経つ。先日再放送されていた(初代の)「ゴーストバスターズ」を見たが、巨大マシュマロマンを見て拒否感はなく、かわいいな~と思った^^。そろそろ普通に食べれるかな。
 以上、マユマロの都より。